傘のように裏返るアンモニア分子
水や液体シリコンが示す数々の奇妙な性質は、方向性をもつ結合がつくる隙間の多いネットワークに由来する。これに対して単純な液体は、ただ密に詰まっているだけだ。液体アンモニアはその中間に位置する。NH₃分子は水素結合を与えることのできる水素原子を3つもつが、受け取れる部位は1つしかない。そのため結合はまばらではかない。論文が引用する研究によれば、1分子あたり受け取る結合はおよそ1本で、その寿命は約0.1ピコ秒である。
アンモニアにはもう一つ隠し芸がある。この分子は小さなピラミッド形で、窒素原子は3つの水素原子がつくる平面をすり抜けて反対側へ移ることができる。突風にあおられた傘のように、ピラミッドが裏返るのだ。このピラミッド反転(pyramidal inversion)は量子効果に敏感で、気体中では分子はトンネル効果によって反転する。ソウル大学校と亜洲大学校のキム・ミヌ(Minwoo Kim)、ユ・ジウン(Ji Woong Yu)、イ・ウォンボ(Won Bo Lee)らは、液体中でこの反転が、分子がどれだけ速く動き回るかというごく基本的な性質にまで影響しうるのかを問うた。
ほとんどのモデルは反転すらできない
最初の障害はモデルだった。試した5つの標準的な力場のうち、4つではまったく反転が起こらなかった。2つは分子を剛体として扱い、残る2つはばねで角度を保持するため、反転に必要な平らな120度の形に決して到達できない。そこでチームは、以前の研究で量子化学計算をもとに訓練された機械学習力場を用いた。この力場は液体の構造、密度、粘性、拡散を最良の標準モデルと同程度に再現しつつ、自発的な反転も許す。
原子核の量子的な性質を取り入れるため、チームはリングポリマー分子動力学法(ring-polymer molecular dynamics)を用いた。各原子核をばねでつながれた32個のコピーで表すことで、その量子統計を再現する手法だ。古典計算と量子計算はまったく同じエネルギー地形を共有し、512個の分子を170〜250ケルビンで扱った。この温度範囲は融点より低い過冷却液体の領域にまで及ぶ。
周囲を揺さぶる反転
- 原子核を量子的に扱うと、液体の密度は下がり、粘性は実験値によりよく一致し、水素結合の数はわずかに減る。
- 反転の見かけのエネルギー障壁は0.272電子ボルト(古典)から0.213電子ボルト(量子)に下がる。そのため、液体が冷えるほど反転は相対的に頻繁になる。
- 周囲の分子をすべて凍結したままにすると、反転した分子のエネルギーは反転前より0.277電子ボルト高くなる。周囲の環境は裏返った形にはまったく合っていないため、反転と近隣分子の再配置は連動して起こる。
- 反転の前後それぞれ約1ピコ秒の間、その分子は水素結合を失い、局所的な密度が下がる。5オングストローム以内の近隣分子、つまり第一配位殻の分子は、結合の約2%と密度の約1%を失う。それより外側では何も変わらない。
かごからの脱出
比較的温かい液体では、量子的な原子核による拡散の変化は−5%から+2%にとどまる。ところが約210ケルビンを下回ると、効果はプラスに転じ、**170ケルビンで+18%**に達する。
その説明はかご効果(caging)にある。液体が冷えるにつれ、ガラスの場合と同じく、各分子は周囲の分子にますます閉じ込められ、移動するにはそこから抜け出さなければならない。かごから脱出する確率は量子的な原子核のほうが高く、170ケルビンで約20%高い。そしてこの確率は拡散の増加と歩調を合わせて上昇する。著者らの描く像では、量子効果に助けられた反転の一つひとつが局所的な小さな「構造破壊因子」となり、ちょうどかごが効き始めるときにそれを緩めるのである。
著者らは慎重だ。古典的な液体と量子的な液体はそれぞれ固有の密度で比較されているため、反転の役割は密度の変化から完全には切り分けられていない。また、かごからの脱出と拡散の相関だけでは、そのメカニズムを証明することにはならない。彼らの主張の核心は、分子の内部の運動に対する量子効果が、周囲と結びつくことで、液体全体の流れ方にまで及びうるという点にある。
